18歳、サーフィンが上手くなりたくて千葉・一宮へ。
EVOLVE STORY|02
18歳の頃、サーフィンがもっと上手くなりたくて、島根を出ることを決めました。
行き先を考えていた時、通っていたサーフショップのオーナーから、千葉、宮崎、四国という候補を教えてもらいました。
宮崎は波がいい場所として知っていました。四国には何度か行ったことがありました。でも、千葉には一度も行ったことがありませんでした。
それでも僕の中には、千葉は『日本一のサーフィンのメッカ』というイメージがありました。
だったら、知らない千葉へ行ってみよう。そうやって、行き先を決めました。
免許を取って、ほとんどそのまま千葉へ。
島根を離れることに、特別な不安はありませんでした。むしろ、これから始まることへのワクワクの方が大きかったと思います。
『もしダメだったら戻ろう』というようなことも、ほとんど考えていませんでした。自分の中では、ただ『千葉で暮らす』という感覚でした。
運転免許を取って、ほとんど間を置かずに車で千葉へ向かいました。
持っていったのは、サーフボードとウェットスーツと服。引っ越しらしい荷物は、ほとんどありませんでした。
一宮というサーフタウン。
千葉・一宮へ来て、最初に感じたのは、サーフィンの環境そのものが島根とはまったく違うということでした。
海にはたくさんのサーファーがいて、サーフポイントもたくさんある。上手い人も本当に多かった。
人の多さにも、波の力にも、そこでサーフィンする難しさにも圧倒されました。
でも、それと同時に思ったのが、
『ここなら、もっと上手くなれそうだな』
ということでした。
自分より上手い人がたくさんいて、その人たちのサーフィンを見ているだけでも楽しかった。僕にとって一宮は、まさにサーフタウンでした。
Positive Directionの工場へ。
島根で通っていたサーフショップでは、Positive Directionのサーフボードを扱っていました。
千葉へ行くことになった時、そのショップからPositive Directionの工場の社長を紹介してもらい、千葉へ着いて最初に工場を訪ねました。
最初から仕事が決まっていたわけではありません。
工場へ行く中で、梱包などのちょっとした仕事を手伝わせてもらうようになりました。特に仕事も決まっていなかったので、呼んでもらったり、自分から工場へ行ったりするようになっていきました。
そして、ある時。
『ここで働かないか』
と声をかけてもらいました。
僕はすぐに、やりたいと思いました。
もともと物を作ることが好きで、島根にいた頃にはFRPを使って小さなサーフボードを作ったこともありました。
好きなサーフィンを続けながら、サーフボードを作る仕事ができる。自分には理想的な仕事に思えました。
こうして、僕のサーフボード作りの仕事が始まりました。
Story / Hiroyuki Maeda
